[紹介]『戦争における「人殺し」の心理学』
デーヴ・グロスマン著 安原和見訳 ちくま学芸文庫 1,575円(税込)
(原著1995年、翻訳1998年)


 「…人は言うだろう。『私はどんなことがあっても人を殺すことはできない』と。だが、それは間違っている。適切な条件づけを行い、適切な環境を整えれば、ほとんど例外なくだれでも人が殺せるようになるものだし、また実際に殺すものなのだ。また逆に、『戦闘になればだれだって人を殺すさ。相手が自分を殺そうとしていれば』と言う人もいるだろう。しかし、それはいっそう大きな誤りである。この第一部で見てゆくように、歴史を通じて、戦場に出た大多数の男たちは敵を殺そうとしなかったのだ。自分自身の生命、あるいは仲間の生命を救うためにすら。」

 著者グロスマンは米軍兵士としての長年の経験及び軍事史に関する多数の研究、実際に戦争に参加し殺人を経験してきた兵士たちのカウンセリングを務めてきた体験から、戦争における殺人の心理について非常に豊かで包括的な研究結果を示している。
 人間は戦場に行けばそれだけで殺人マシンに変わるというものではない。それは様々な軍事史における研究結果から示されている。第二次世界大戦において、銃を持った兵士が実際に敵に向かって発砲した率は15~20%に過ぎなかった。南北戦争等の戦争においても同様の数値が示されている。つまり、自分自身の生命、あるいは仲間の生命を救うためにすら、発砲できない兵士が非常に高率で存在してきたということを証明しているのである。人間には、本能的、社会的要因によって殺人への強烈な抵抗感が存在しているという。
 だが、第二次大戦以降、米軍においてはその発砲率を高めるための訓練がなされ、その結果、朝鮮戦争では55%に、そしてベトナム戦争では90〜95%に達した。しかし、その「副作用」も大きく、ベトナム帰還兵たちはすさまじいトラウマ(TBI)に苦しみ、PTSDを発症することになった。
 20世紀以降の戦争では、「精神的戦闘犠牲者になる確率、つまり軍隊生活のストレスが原因で一定期間心身の衰弱を経験する確率は、敵の銃火によって殺される確率よりつねに高かった」ことがはっきりと統計で示されている。その「精神的戦争被害」の具体例も又この著書に詳しく描写されている。

 著者は、米陸軍で心理学を担当していた元教官という立場から、米国の国家目的が正当であると強く信じている。しばしば彼はそれに固執するあまり、偏狭な主張を展開する。たとえば著者は、米国が他の国に比べれば捕虜の扱いが公正であると主張する。だがとりわけ現在のアフガニスタンとイラクの戦争におけるすさまじいばかりの捕虜虐待、アブグレイブ、グァンタナモに対してどう弁明するのであろうか。
 また、ベトナム戦争の帰還兵が深刻なトラウマを抱えるようになったのは社会が彼らを受容しなかったためであり、それは反戦運動のせいであるという見解を披瀝する。だが、精神障害で戦闘不能に陥った兵士を再教育して戦場に送り返しているのは軍であり、除隊を希望する兵士を「ストップロス」(兵役が満期になっても除隊を認めない米軍の制度)によって任期延長し無理矢理兵役を引き延ばしているのも軍である。軍は兵士を身も心もボロボロにした上で社会に戻しているのである。それが、帰還兵問題が深刻さを増している大きな原因だ。

 一方、いったん戦争という殺人を肯定した社会は、その行為を受容し正当化するシステムを持たなければ、自壊を招くという著者の認識は重要である。そして、そこからは二つの道が伸びている。一つは、そのシステムを強化する道である。「殺人→受容・正当化→次の殺人」を兵士に強いる国家体制は、こうして連綿と続いていく。
 もう一つの道は、そのシステムを断ち切ることである。日本は敗戦をきっかけに戦争を放棄することによってそのシステムを断ち切ったはずであった。しかしながら、日本の戦争目的を正当化し戦死を顕彰する靖国神社が今もなお存続しているということは、もう一つの道も未だ消滅してはいないことを物語っている。むしろ、日米軍事同盟がより強化され、首相がまたぞろ憲法解釈の見直しを口にする中、その道が一挙に復活する危険性もある。改めて、日本が行った侵略戦争を賛美する施設としての靖国神社、今後日本がおこなうであろう侵略戦争への加担や海外派兵における戦死を奨励する施設としての靖国神社の意味が問われなければならない。
「戦う国家は、祀る国家」=侵略戦争の遂行のためには、戦死者の顕彰と教育による洗脳が不可欠(署名事務局)
書評『靖国問題』高橋哲哉

 最後にもう一度著者の言葉を引用してみよう。
「戦闘中の兵士は悲劇的なジレンマにとらわれている。殺人への抵抗感を克服して敵の兵士を殺せば、死ぬまで血の罪悪感を背負い込むことになり、殺さないことを選択すれば、倒された戦友の血への罪悪感、そして自分の務め、国家、大儀に背いた恥辱がのしかかってくる。まさに退くも地獄、進むも地獄である。」
 戦争とはまさに兵士にこのような地獄を味わわせることなのである。

 米軍では、この著書を、殺人を拒絶する人々に殺人を強いる手引き書として使用している。それは逆に、国家や社会によって強制されなければ人は自ら殺人や破壊行為、自殺行為に走るのではないということに他ならない。今も殺し殺されているアフガニスタン、イラクの戦場に思いを馳せるとともに、人間性が真に尊重され、だれも自らの人間性に反することを強いられない社会、他者を傷つけたり殺すことを強いられない社会、自ら命を絶つことに追い込まれることのない社会を願わずにはいられない。

2008年10月12日
リブ・イン・ピース9+25