映画『カムイ外伝』を見に行ってきました。漫画を実写にした場合、往々にして漫画のイメージとのギャップがありすぎて見るに堪えないものになりがちなのですが、この映画の場合、カムイを演じた俳優も他の俳優もそのキャラクターにふさわしい人選であったと思います。ストーリーも結末もだいたい原作通りでした。 しかしながら、この作品を満喫するほどに映画の世界に没入できたかと言えばそうではありませんでした。その一番大きな理由は、主人公カムイが忍者になったのは「貧しさ」の故であったというナレーションです。 貧しさ…、もちろんそれもありますが、カムイが忍者になろうと思った最大の理由は差別だったのではないでしょうか。彼が「非人」という江戸時代の身分制度の最下層に生まれたということ、これなしに彼の人生を語ることはできません。そして彼の貧しさの原因はこの差別によるものでした。この面が映画の中で無視されているわけではありません。少年時代の彼が非人として差別を受ける場面も描かれています。ただ、この映画全体からすれば、それは後景のひとつという位置しか占めていません。 もっとも、この映画は決して原作をねじ曲げているわけではありません。なぜなら『カムイ外伝』においては、そもそもカムイが非人であったことについてはほとんど触れられていないからです。カムイの手練の技や、追っ手に追われる「抜け忍」としての苦悩を描写することが中心になっています。だから、『カムイ外伝』の映画化としてだけ見れば、この映画は原作を忠実に映像化しているといえます。 それでもやはり物足りなさを感じてしまうのは、漫画『カムイ伝』を読んでいるからなのかもしれません。そこにおいては身分差別の理不尽さが様々な立場の人々の姿を通じて描かれています。 非人から忍者となったカムイだけでなく、下人から本百姓となった正助、一揆に敗れて農民から非人に転身した苔丸、家老の息子に生まれながら思いもかけず非人の暮らしに身を置くことになる草加竜之進、金の力で身分を越えてのし上がろうとする商人の夢屋、そして自由を求めて抜忍となった赤目…、主立った人物だけでも数十人はいるでしょうか。全体では数え切れないほどの人々が登場し、身分制度の中で苦闘します。 権力者側は自分の支配を維持しようとしてありとあらゆる手段を使って人々を分断します。農民を弾圧するのに非人を先兵として使い、お互いをいがみ合わせます。初めはその策略のままに分断され支配されていた農民と非人が、最初はごく少数の者たちから始まって、互いに理解しあっていく様子はとても感動的です。その結びつきは何度も卑劣な陰謀によって打ち破られますが、そのたびにまた新しい結びつきが生まれていきます。それは、ある時にはどれほど悲劇的な様相を呈しようと、それは一時的なものに過ぎず、また新しい展開があるのだということを感じさせます。 『カムイ外伝』が映画化されたことは、現在の格差や差別のの拡大、貧困の増大と深く関わっていると思います。映画『カムイ外伝』を見て興味深いと思われた方は、ぜひ原作の漫画『カムイ伝』を読まれることをお勧めします。 2009年11月7日 |