大ヒット映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観て考えたこと
フレディの深い孤独と絶望、そこから救い出したクイーンの仲間
  

 1970年代後半から80年代に掛けて立て続けに大ヒット曲を生み出した英国のロックバンド「クイーン」とそのリードボーカル、フレディ・マーキュリーの生きざまを描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』が記録的な大ヒットとなった。公開から3か月たった現在も上映館がほとんど減らないロングランを続け、映画界に止まらず社会現象として話題になっている。
 また、クイーンのギタリストで熱烈な動物愛護主義者でもあるブライアン・メイ氏が「辺野古の土砂投入に反対する」米国政府宛署名の呼びかけをツイッターで行い、これも話題となった。
 昔若かりし頃クイーンのファンだったこともあり映画館に足を運んだ。内容も素晴らしく最後に『We Are The Champions』のフレディのピアノ伴奏が流れだした時は、スクリーンの中の聴衆とも、また映画館の中の観客とも一緒になって心の中で熱唱していた。

 映画では特に、クイーンがスーパーグループに、フレディがスーパースターに変貌した後、莫大な移籍金でフレディがメンバーと仲違いし独立していく後半部が秀逸。アジア系移民でゲイという民族的・性的マイノリティとして差別と偏見にさらされコンプレックスにさいなまれながら、自己のアイデンティティを常に探し続けていたフレディは、メンバーと別れたことで深い孤独に陥いる。フレディの金と名声に群がる取り巻き、その連中との毎晩のドンチャン騒ぎ。しかし騒げば騒ぐほどフレディはますます深い孤独に落ち込んでいく。そのうえ、思い通りに楽曲が完成しない焦りといらだち、エイズ罹患により確実に忍び寄る死への恐怖が加わる。そのどん底のフレディを地獄の淵から救い上げたのはクイーンのメンバーであり、フレディの謝罪と再結成の申し入れを素直に受け入れコンサートへ。映画の最後20分はそのコンサート「ライブエイド」(アフリカ難民救済を掲げ1985年7月13日に開催)の実況だ。

 今の日本で、この映画がなぜこれほどヒットしたのだろうか。映画の最後にフレディが言った言葉、クイーンのメンバーがフレディに「なんで再結成したいんだい」と尋ねた時に言った言葉にヒントがあると考える。
 「(僕の楽曲に)NOを言ってくれる人がいないんだ」――。
 クイーン時代は常に新しく斬新な楽曲を世に送り出すために、メンバーは感情をあらわにぶつけ合いながら一つの楽曲を作り上げていた(その真骨頂が映画のタイトルともなった『ボヘミアン・ラプソディ』)。ところが独立してからは、素晴らしいスタジオ、ミュージシャンはレコード会社から用意されるけれど、フレディの提供した曲に誰もNOを言わず、本当の意味で楽曲作りができない。孤独にもがく心の叫びが「NOを言う人がいない」だ。
 映画のストーリーには、これも大ヒットしたマンガ『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎原作)と通ずる要素が見られる。「仲間・友への裏切り・仲違い」→「深い孤独」→「絶望」→「心からの反省・謝罪」→「友情の再構築」という流れだ。これが心に響くのは、日本の多くの人がSNSなどで人とのつながりは増えてながらも、本当の友・仲間がいるのかという疑念を抱いて、孤独の中で生きていることの証しではないかと思う。

 最後に、映画が大ヒットしているが故に、あまり知られていないクイーンとフレディの限界についても触れておきたい。まずクイーンには、南アフリカのアパルトヘイト体制に反対して全世界で「カルチャー・ボイコット」が叫ばれていた1984年に、南アでのコンサートを強行したという過去がある。
 次に、前述の民族的マイノリティとしてのフレディについて。彼の両親はインド生まれのペルシャ系アジア人で、アフリカの英国植民地の一つであったザンジバル島で植民地政府の官僚として働き、それなりに裕福な家庭だったようだ。ザンジバルで英国は、植民地支配のためにアジア系住民を優遇し、多数派の黒人に対立させた。そのため黒人を中心とした独立闘争ではアジア系住民の多くが殺されており、フレディ一家もこの時英国に逃げ出している。このような背景から、フレディはアジア系であることに極度のコンプレックスを持っていたものの、英国の植民地支配についてどう考えていたかは分からない。
 この映画を観る上では、こうしたことも知っておいた方がいいだろうと思う。

2019年2月5日
リブ・イン・ピース☆9+25 H