【報告】つなごう改憲反対連続講座 第5回 「中国人強制連行受難者の声と政府の対応」
過去の侵略戦争と天皇制国家の無責任、現在の差別と蔑視、
対中戦争準備の深いつながりを厳しく批判

 2023年1月15日 #つなごう改憲反対 連続講座第5回、「中国人強制連行受難者の声と政府の対応」をテーマに、冠木克彦弁護士による講演をオンラインで開催しました。90人近い人が参加しました。
 冠木弁護士は、国が、大阪での中国人強制連行受難者とその遺族に人権侵害を認め補償すること、真摯な謝罪をすることを旨とし、昨年2月に日本弁護士連合会に人権救済申し立てを行いました。180ページに及ぶ申し立て書には、強制連行(暴力的拘束、詐欺、騙し等)のいきさつや過酷な労働実態に関する証言が生々しく記されています。冠木弁護士は、この申立書を中国語に翻訳し、中国本土の受難者や遺族に返したいという構想をもって活動を続けています。加害国の人間が、受難者との信頼関係を築き証言を聞き出し記録するという仕事を続けるのは並大抵のことではなかったただろうということが話の端々から伝わってきました。冠木弁護士の執念の根底にあるのは、天皇制の戦争犯罪の追及であり、それが戦後裁かれないことによって今も反省や抑圧の自覚がなく、差別や蔑視がはびこっていること、戦前と戦後が繋がっている事への徹底した批判だということを強く感じました。強制連行等を裁く同様の裁判では、西松裁判などまれに企業の責任を認めた例はありますが、国の責任を認めた例は皆無ということです。それは、国の責任は天皇制の責任に直結するからです。人権救済申し立ては、時効や法的枠組みを超え、国が強制連行の事実を認め、謝罪し、賠償するという当たり前のことをやらせるための闘いだということがわかりました。そして過去の侵略戦争の過ちを徹底して追及することは、現在の私たちを「抑圧民族としての意識」から解放することであり、現在日本政府が進めている中国に対する戦争準備をやめさせるための闘いと直結しているとの思いを強くしました。

中国侵略、万人抗について
 はじめに中国侵略は1905年日本が日露戦争でロシア帝国から南満州鉄道(東清鉄道)の吉林省の長春(満州の中心地)から旅順の724キロの鉄道及びその周辺の利権を獲得したことが、中国侵略の最も大きな拠点であると地図や資料での説明がありました。
 その日本の侵略の特徴を一番よくあらわしているのが万人坑がある場所です。万人坑は資源の略奪とエネルギーをつくる発電所の現場に集中して、中国の農民を全国から集めてきてここで奴隷的労働を強制し、そこで亡くなった人や使い物にならなくなった人たちを埋めた、その人捨て場が万人坑です。資料に死者が推定25万人で、遺骨そのものが写った写真や、開発や整地がされていて形としては残っていないが、整然と遺体が並べられている写真などが紹介されました。
 その典型的な場所が帝国の宝庫と言われた撫順炭鉱で、1945年までに2億トンの石炭を産出しました。石炭産出のために満鉄と関東軍と満州国が三位一体となっていたこと、そして満鉄が直接関われない南の方の強制労働の中心的な働きをしたのは、日本の民間人と中国の傀儡政府の職員で構成された華北の労工協会というものでした。
 人集めは、満鉄自身が行うのではなく、「把頭(はとう)制度」(封建的な労働ボスによる請負制)というものを使い、把頭が労働者を条件の良い仕事だとだまして募集・管理しました。その把頭が賃金を受け取り中間搾取をし、ほんの少しの賃金を渡すだけのものだった、「把頭制度」は企業と労働者との関係は作られない、法的な形は作られないもので行われたひどいものだったと強調されました。

※被害の実態 (藤永田造船所へ連行された 高文声氏)
「1944 年 2 月、十七歳で傀儡兵に捕まり、民権県の警察局に放り込まれた。看守から両足に足枷をはめられて、木の檻に閉じこめられた。食べ物はコウリャンの粉で作ったウォトウが一個だけ。夜になると看守は私の両手を縄でくくりつけ、逃げ出せないように、座ることはできても立つことはできない状態にした。」
「汽車から下ろされ、海のそばにある強制収容所に入れられた。 昼間は屋外に出ることが許されず、夜は衣服を脱がされ素っ裸で地面に寝かされた。目を開けることも許されなかった。目を閉じていないのが見つかると、逃げようとしていると見なされて、すぐに棍棒で殴られた。ひどい場合には、外に引っ張っていかれ、逃亡犯だと日本人に報告されて、即刻、海辺で銃殺されるか首を切り落とされていた。ある青年は素っ裸のまま両手を縛られて引っ張っていかれ、太陽が照りつける中を電柱にくくりつけられた。午後になって砂浜まで引きずっていかれ、銃殺された。」
「船が大阪に着き、藤永田造船所というところで働かされることになった。三日目の夜、日本の警察が点呼をして、一人足らないと言いだした。その二日後に、逃げ出した李登起さんが郊外で警察に捕まり、連れ戻されてきた。民権県の人で三十歳ぐらいだった。逃亡の理由を聞かれ、家には八十歳になる老母が一人でいて、誰も面倒を見てくれる者がいない。飢え死にしないか心配で家に帰りたかったのだと答えた。罰として一切食事を与えられなくなり、李さんは数日も経たないうちに死んでしまった。」


日本内地への強制連行−−天皇制に繋がる国の責任を一切認めない
 日本の強制連行の始まりは、1942年11月東条内閣が「日本内地への強制連行」を閣議決定したことにより、大阪などへの強制連行が行われました。1944年には国策会社として「港運業会」が作られ強制連行の受け入れ企業となりました。大阪では約1000人が強制連行され、内86人が亡くなりました。1945年6月30日は花岡で朝鮮人が蜂起しそれへの大虐殺が行われた日で、のちに米軍が散らばった大量の白骨を発見したことから日本国内の強制連行の事実が明らかとなりました。
 強制連行における様々な裁判が行われて鹿島建設、西松建設など一定の企業が自ら責任を認め和解金を支払ってはいます。しかし、関東軍が直接関与して行った国家制度であったのに国が責任を一切認めていない、また決して認めようとしない、これが一番の問題で、今日の本質的なテーマはこのことだと話されました。
 では、なぜ認めないのかというと、天皇制の不動の防衛線がはられているからです。戦前の国家責任を認めるという事は天皇の責任を認める事になるから、「絶対に認めない」。マッカーサーが日本を支配するために毒饅頭=天皇制を与えて利用し、貫徹していこうとした、そのことによって米国の「属国」にされている。
 ドイツは自力でもがいて自国の再建を図っていった、近隣諸国にも謝罪をしました。しかし、日本は全く個人の補償はしていません。日韓条約、日中友好条約で補償は済んで、解決したと言っているが、全くそうではありません。被害を受けた個々人の請求権はなくなっていない。放棄している賠償権は、国家が国民の被害を代表して請求するとい「国民保護権」なんだと。

国家無答責と現在に繋がる無責任
 また、強制連行・強制労働の行為が現行の国家賠償法の施行前の事実であるという理由で、国家無答責にされています。国家無答責とは、大日本帝国憲法第三条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という戦前の法理が国家の公権力の行使には民法の適用がなく、国は損害賠償等の法的責任を負わないという法理でする。天皇は神聖にして侵すべからずという天皇制絶対主義に基づく法理で、これが適用されるという、これが国家の無法を放任することになっています。
 冠木弁護士は現在の日本の政治が全てにおいて極めて無責任を貫いていると強調しました。入国管理施設で「飢餓状態」のウィシュマ・サンダマリさんを放置し死亡させた事件。刑事責任は「因果関係不明」で不起訴になっています。入管制度は、戦前の特高警察の人員がそのまま入管職員になり、戦後の最初の入国管理令は新憲法施行の前日 1947 年 5 月 2 日昭和天皇最後の勅令として制定されたといい、戦前の差別制度がそのまま引き継がれているのです。森友学園を巡る問題で決裁文書改ざんを強いられ、自殺に追い込まれた財務省近畿財務局の元職員赤木俊夫さんの訴訟は、国から明確な説明がないまま終結させた事例も、下っ端の一職員の命や人民のことなど何とも思わない官僚機構の性格を表しています。日本の政治の中に最も根底的に差別性が貫かれているのが本質的な問題であると強調されました。

猪八戒氏の遺言
 それから戦前の天皇制官僚制から引き継ぐ「差別国家・ヘイト国家」の核心をついた、猪八戒氏(本名林伯輝氏、中国人強制連行の責任追及活動において誰もが知っている)の遺言の指摘が、非常に大事だと考えていると紹介されました。

「盧溝橋 33 周年の問題と、在日朝鮮人・中国人の問題とは密接不可分であり、日本人はそれを知るべきである。諸君は日帝のもとで抑圧民族として告発されていることを自覚しなければならない」
「今日まで植民地戦争に関しては帝国主義の経済的膨張の問題としてのみ分析されがちであったが、しかし日本の侵略戦争を許したものは抑圧民族の排外イデオロギーそのものであった」
「日帝が敗北したとき、ポツダム宣言を天皇制が受けたかたちになり、日本人民がそれを避けられなかったところに、日本人民の排外主義への抵抗思想が築かれなかった原因がある。」

 冠木弁護士は、この遺言にある指摘はまさにその通りで、天皇に対する批判がない元では排外主義の批判はでてこないんだ、と。最も本質的な問題としての差別性に基づいた強制連行の問題全般について真正面からの責任を日本国家に対して認めさせることが是非とも必要であると考えていると、締めくくられました。

質疑応答――特に教育の重要性が議論に

 講演後の質疑応答で、教育現場において日本が中国に行ってやったきた事実を、あまり教えられていない、もっと現場で教えてもらいたいとの発言がありました。それに答えての教育現場の報告がありました。
・秋田県の高校で花岡事件について十分ではないが戦前の加害責任を知る取り組みがされていたが、そのような取り組みに対して、「つくる会」から根拠を請求してくるなど圧力がかかったこと。2021年に当時の萩生田文科大臣によって教科書から強制連行、「従軍慰安婦」という記述を排除する閣議決定がされたなど、攻撃がされている。そんな中でも事件事故の名称は原典表記重視があるので、このことを逆手にとって執筆をしたり、教科書の注記に文科省の閣議決定は政治的圧力だとの意見があると表記している。
・大阪の小・中学校では、特に維新の会による攻撃がひどく日本の加害の歴史を教えるためにフィールドワークに「ピースおおさか」を入れていたが、維新が目の敵にし、加害の歴史についての展示の改変を迫り、ほぼ被害の実態のみになっている。しかしやれる限りの抵抗をやり続けている。学校では、教科書に載っていない事実などの資料集をつくり、わかりやすい教材などが作成されている。長崎の原爆資料館も大きく改変されたが、長崎平和資料館は日本の加害に特化して展示しており、そこには20代の若者が来館したり修学旅行にも利用されている。
いずれも、教科書の執筆者や現場の教職員が粘り強い取り組みを行い、教科書や教育現場での右傾化をギリギリのところで押しとどめていることがわかり、勇気づけられる報告でした。
 韓国の水曜デモの現状についてお話がありました。ここ最近、韓国の日本の右翼のようなの人たちが被害者と市民団体に対してひどい言葉で罵っているが、そんな中でも水曜デモに若い人たちが参加していて跳ね返している。この暴力的な行いがされる状況は日本政府が事実を認めていない、謝罪していないからこそだ、と。

新たな対中戦争準備反対の闘いをつくろう
 最後にリブ・イン・ピース☆9+25より「安保3文書」にある中国の戦争準備をしようとしていることの問題提起がありました。
 去年の12月にだされた「安保3文書」の中身は、2023年今年、中国に戦争を仕掛ける最初の年にされるというもので、新聞報道では反撃能力をもつ、敵基地能力をもつ、他の国を攻撃できる能力と書いているが、その矛先が中国に向いているということをメディアが全然、論じていません。日本は中国と戦争するために軍事を整備し、そのために軍事費は2倍にすると勝手に岸田政権が決めています。マスコミは中国が攻めてくると言う報道しかしません。戦争が起きたら日本の米軍基地、自衛隊基地、空港港湾は攻撃対象になり甚大な被害がでます。経済の被害は日本と台湾だけで、米国自身には被害がありません。日本が米国の矛として中国を攻撃することになるのにそれでも中国への戦争準備をすると言ってるのが岸田政権です。日本の侵略と植民地支配の反省の証として9条があります。しかし過去の侵略戦争の謝罪も賠償もせず、新たな対中戦争準備をしてるのが今の日本政府です。
 参加者からは「台湾有事というが台湾は中国の国内問題、日本がかかわることではない」「中国脅威論に反論していきたい」などの意見が出されました。次回の第6回連続講座は、対中戦争を準備する「安保3文書」批判を取り上げます。野党も含め日本全体で反中・嫌中の大合唱ですが、反中キャンペーンとの闘いも一つの軸において連続講座を続けていきたいと思います。

2022年2月16日
リブ・イン・ピース☆9+25