6月11日に「#つなごう改憲反対」連続講座の第2回「教育と憲法 子どもが学ぶ権利か? 国が押しつける教育か?」が開かれました。参加者は、会場に50人近く、オンラインを含めて約80人でした。 はじめに主催者あいさつがありました。「改憲に向けた状況は極めて厳しい、毎週開かれている両院の憲法審査会に野党も審議に応じるなど腰砕けな上、維新等は改憲案を出して審議を促進している。ウクライナ戦争では共産党をはじめロシア批判一色で、政府が言う中国脅威論にのせられ軍拡は必要だというのが前にでており、改憲に対して反対するのが非常に難しい状況になっている。7月の参議院選挙で3分の2を改憲政党がとると一挙に改憲に進みかねない状態にある。6年以内に、アメリカのバイデンが中国に対して軍事紛争ないしは戦争という状態を引き起こしかねなという状況下で、日本の岸田政権は軍事費GDP2%、改憲と中国に対する戦争を全力で準備しようとしている。そのため全力で反対しないといけない」という訴えがありました。 連続講座第2回は、原発問題、医療問題、戦争法反対、教育等など広く活躍されている冠木克彦弁護士が「現前の教育反動に対する戦いを 新教育基本法廃止に向けた活動とへ」という題で講演し、他に2つの報告がされたました。 冠木克彦弁護士の講演 冠木弁護士は、維新の会による大阪の教育のあまりにもひどいと実情を知り、それに対しどうしても闘わなくてはいけないと思ったと講演を引き受けた理由を語りました。将来的にも必ず闘いに加わらなくてはいけない、しかも相手は維新だけではなく日本の政府と独占資本に対して闘わなくてはならないと話を始めました。 自民党改憲草案 2012年の自民党憲法改正案は自民党が考えている改憲がいかにひどいものであるかを示していますが、教育に関しては様子が異なります。改正案は現行憲法の26条、1項「等しく教育を受ける権利」、2項の「普通教育を受けさせる義務。義務教育無償」をそのまま残し、3項に「経済的理由にかかわらず教育を受ける機会の確保。教育環境の整備」を付け加えています。現在の自民党改憲4項目も教育に関して「教育の充実」を上げています。しかし、これは「人気取り」のためのものです。無償化など改憲しなくてもできます。問題は、すでに2006年の教育基本法の改悪によって教育の分野での憲法改悪がおこなわれ、それが法律として具体化されていることです。改悪教基法とその下での法律は、現在の大阪における維新の教育の実態をそのまま肯定するものになっており、大阪の教育が違憲だと言いにくくしています。 現在の教育現場の本質を暴く久保校長の意見書 この大阪のやりたい放題の新自由主義教育政策の現状に現職の久保校長が厳しく批判する「大阪市教育行政への提言」を出しました。「学校は,グローバル経済を支える人材という「商品」を作り出す工場と化している。教職員は、子どもの成長にかかわる教育の本質に根ざした働きができず、…仕事に追われ、疲弊していく」「過度な競争を強いて、競争に打ち勝ったものだけが人間」として評価される。「生き抜く」世の中ではなく、「生き合う」世の中でなくてはならない、等々。この「提言」は維新の会の進める教育の現状を厳しく批判しただけではありません。この「提言」が出た、現職の校長が声をあげたことによって現場の雰囲気が変わったのです。今まで押さえつけられてきた教職員の中に教育行政に意見を言おうという動きが出てきました。市立中学の名田校長が呼びかけて集まった教職員・市民255人の「大阪市の教育への意見書」には教職員だけでなく多くの保護者の意見が入っており、保護者との連携をとることの重要性も浮かび上がりました。 競争と評価によって管理される学校の現状 冠木弁護士は続いて現在の維新の会主導の大阪の教育の問題点を取り上げました。@全国学テとテストによる生徒・学校の目標管理と競争押し付け。その下での不登校増加、教育差別の拡大。A教職員への成果主義競争の強制。B数値を見て子供を見ない「教育」。特別支援学級増等々。さらに、子どもへの規律、愛国心の押し付け、学校選択制と統廃合等。 これらの政策は今や「知識基盤社会」の名のもとに進められています。ハイテク知識労働者というエリート層を増やし育てる。2割の上層労働者を「大切に育て」て、あとの8割の労働者の使い捨てる棄民政策です。2割:8割の格差拡大政策と棄民政策で文句を言わず「部品」のごとく働きづめになる大量の労働者の産出が本質です。 新教育基本法の違憲性 教育基本法は憲法と同様に国民を縛るものではなく「権力拘束規範」でしたが、政府は教基法改悪で「国民の自己拘束規範」へと180度転換させました。そして、第一条(教育の目的)で、(旧)「心理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ,自主的精神に満ちた」という内容規定を削除して、「必要な資質を備えた」に変え、教育内容を他から自由に入れられるようにしました。つまり国家や行政に公教育への全般的な統制権限を与えたのです。教育の自由を奪い、国策のための教育を強制するものにしたのです。 さらに、第二条(教育の目標)で20を超える「教育の目標」を列記し、これらを国民が持つべき資質として押し付けました。学習指導要領に書き込んだ「徳目」を法律で規定して子どもに強制し、国家が国民の内心を管理することを定めたのです。代わりに「学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するよう努めなければならない」(旧二条)は削除しました。 教育の本質が要請する原理の下で教育がなされなければならないということは、旧第10条「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」の規定に表現されていましたが、新16条では「教育は不当な支配に服することなく」の文言は残されましたが、後半は削除されたうえ、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」とされました。旧法で不当な支配の主体と捉えられた国と教育行政が教育を行うと逆転させたのです。 新教育基本法の違憲性に対しいかに闘うか 久保意見書が出されて現場の雰囲気が変化していることは大変重要だと冠木弁護士は強調しました。新自由主義政策と強権支配があらわれるたびに、反対世論を作る地道な活動が不可欠です。 現在の教基法16条そのものが不当な支配をする法律であると問題を立てないと争えない状況になっています。これだけひどい状況が生まれているのだから根拠になっている法律自体が不当であると見ることが必要です。生徒自身が、保護者が、そして教員が命じられても従わない、職務命令が横行する段階では職務命令の違法性の確認を裁判で争い、教育の本質を理解した学者の協力があれば現状でも争えると考えています。保護者との協力と法律家と一緒に闘い続けましょうと冠木弁護士は話しました。 報告(1)小学校教員から 改憲を先取りする大阪市の「維新」教育の現状 教育を支配する大阪市の松井市長。現場に知らせずツイッターで方針を公表 2020年4月6日、教育委員会の方針のもとで全ての学校が翌日入学式をするつもりで準備万端の状態にありました。その入学式前日の勤務時間が過ぎた18:36分に松井市長が、「入学式をやめましょう」と教育委員長にツイッターで知らせ、それを教育委員長が了承しました。教職員はそのことをツイッターの発信で知りました。学校現場は参加者する保護者にどう連絡するかで混乱し、準備した入学式は一瞬で壊されました。現場としては非常に腹立たしい事態でした。市長の鶴の一声で学校が引き回される、これが現実なのです。 市長が事実上、学校教育目標、内容を決定、しかも数値目標化が全ての学校に強制 ことは入学式にとどまりません。市長が総合教育会議を主催し、そこで教育振興基本計画を作り、これで全ての小、中学校の共通の目標を決めます。さらに具体的な政策を短期と中期で決定します。全市共通目標としているのが「校内調査」=アンケート(いじめ、学校の決まり、暴力行為、不登校について問われているもの)実施と数値化です。しかし、子どもたちの様子や事情を見ず、数値だけを求める教育は子どもの実態とはかけ離れています。学力・体力の向上も強制されます。中学生ではチャレンジテスト、校内調査、全国・運動能力、運動習慣調査等で数値化をします。 さらに各学校には結果の「説明責任」公表が義務化されています。「学校目標」の数値化した結果はホームページを通じて、全校学力テストの正答率(大阪市平均との比較したもの)、中学校については、何人がどこどこの高校への進学したという実績まで公表させます。「説明責任」が学校にとって圧力となっています。 大阪市については市長が任命する区長(教育次長)が教育に対し強い権限をもつ 大阪市では本来教育行政の中心になるべき教育委員会議は形骸化させられ、月1から2回開催されますが、議論は低調で、市民には非公開案件だらけです。教育委員会に代わって、行政である区長の支配が強まっています。区長の権限で区内の学校選択制の拡大と学校統廃合、小中一貫校の設置、学校の「学校施策評価」、校長の人事に関する意見書の提出と事実上の校長評価までしています。 学校カルテ(学校は病んでいる)を作って、教育委員会が上から指導を入れる 大阪市ではこの5年間、数値化できるものすべてをデータ化し一目瞭然にし、それに基づいて教育員会や区長が学校の評価、校長の評価をしています。 コロナ禍の学校で、自己責任で教育格差は拡大、公教育が破壊,制約、縮小されている 松井市長が推進したオンライン学習は、経済格差が教育格差に直結しました。長期の学校休業で一人親家庭や経済的に困窮する家庭に矛盾が集中しました。そのフォローは行われませんでした。これまで一定平等に進められてきた学校が格差を前提としていくことは大きな問題です。それこそ政治の介入、市長の介入の弊害を浮き上がらせています。 報告(2)教育研会員から 「個人」を管理する「教育」と改憲 日本国憲法第13条「すべての国民は、個人として尊重される(ALL of the people shall be respected as individuals)。生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」。 13条の「リスペクトされる」の言葉を使う方が、今の子ども達にとって分かりやく、一人一人が自分のあるがままとして、一人の人間として尊重されることが日本国憲法で保障されています。ところが新しい教育基本法の中ではこれが180°転換されています。 自民党改憲草案第13条は「全ての国民は人として尊重される。生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公益および公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない」とし、「一人ひとりが個人として尊重」されるのではなく、「人として尊重」されるに変更しています。「個人」には形容は付きませんが、「人」にはいろいろな言葉が付きます。人材とか、好きな人・嫌いな人とか、役に立つ人とか。いかなる人と評価するのか、人として扱うとはどういう意味なのか。「公益及び公の秩序に反しない限り」と自民党は憲法の中に規定し、「人」をどう扱うかを国家が決められるようにしています。一人一人が無条件に大切にされるのではなく、その人の能力がどうか、どんな人物かに変えられ、憲法の中で公益、国家の役に立つのか、公の役に立つのかどうかを基準にしようとしているのです。 「教育基本法改悪反対」と言うだけでは、不十分だったのです。「子どもの権利条約」が世界共通の認識へと発展しようとしていたにもかかわらず、旧教育基本法の下でも能力主義と人材育成に偏った教育が進められ、本当の意味で一人ひとりが個人としてリスペクトされる教育への取り組みは「ともに学びともに生きる」社会を目指す教育の中からやっと育ち始めたばかりだっと思います。しかし、教育基本法改悪と改憲は、教育を国家が「国益」のために国民に課す「義務」に変えてしまおうとするものです。 しかも、新教育基本法第6条では、「…教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視し…」とされ、その「義務」さえ、あくまで「自己責任」とされています。新しい指導要領でも、一人一人に「何ができるのか」を基準に「できない」を「できる」に変え、社会に役立つ人材として自立することが学校教育の目的にしています。根本から批判する必要があります。 箕面市が「貧困の連鎖を根絶する教育」を実践〜その中身は 箕面市では「貧困の連鎖を断ち切る」ための「子供成長見守りシステム」施策が出されました。子ども・家庭に関わるすべての個人情報を「ビッグデータ」として集積し、AIが「危険因子」を持つ家庭と子どもをピックアップし、ピンポイントで対策をとるというものです。貧困そのものをどう撲滅するかということは一言も出てきません。貧困をはじめ様々な困難な状況にある子どもたちの「学習能力をより高いレベルまで押し上げる」ことによって、当該の子どもに自信をつけさせ、貧困の連鎖から自ら脱する力をつけさせるというのです。 すでに2017年から、0歳から18歳の子どものあらゆる個人情報を保護者の同意もなく全員分収集し蓄積しています。行政や学校が把握している家庭や経済情報、健康情報、学習情報はもちろん、新たに学校と民間企業等が提携して収集した学力から非認知能力(テストでは判定できない潜在能力)に至るすべての情報をビッグデータ化しています。民間企業や日本財団等が協力し、文科省、来年立ち上がる「子ども家庭庁」が関与しています。数値化された情報に基づいてAIが判定し、数値の低い家庭や子どもへの「アラート」によって、学校を含む行政機関が対策をとるという。対策は、「子どもに自信をつけさせる」「自分で乗り越えさせる」ことです。 自民党は憲法12条を「国民は自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公共及び公の秩序に反してはならない」に変えようとしています。生きることが困難な状況があるとすれば、国家は一定の「対策」をとればそれで終わり、後はすべてが自己責任。そんな社会を当たり前にしようとしています。政府が憲法をどのように変えようとしているか、今取られている対策がどのような意味を持っているのかを子どもたちにしっかりと伝えなければなりません。 2022年7月5日 |
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