安倍内閣は今国会に、「テロ等組織犯罪準備罪」(組織的犯罪処罰防止法改正案)を上程する。同法案は、これまで小泉内閣が3度上程し(2003〜05年)、その都度、廃案となった「共謀罪」の名前を変えた焼き直し法案にすぎない。日本弁護士連合会はこれまでも、共謀罪が日本の刑事法体系を根本的に変え、人権抑圧法となること等を指摘して強く反対してきた。 政府は今回、人権抑圧法との批判を回避するために、名称を上記のように変更し、構成要件(法律によって罪となるべき違法な行為の定型)を若干変更するとしているが、法案自体は本質的には何らの変更もない。 「テロ等準備罪」と、まるでテロを取り締まる法律であるかのようなごまかしを行っているが、本音は市民運動・平和運動の取り締まりだ。これまで、安倍首相は、「一般の方々がその対象となり得ないことがより明確になるよう検討を行っている」と述べてきた(衆院本会議、1月23日)。だが、これに反して、法務省見解は一般市民も取り締まり対象になりうることを明らかにした。「もともと正当な活動を行っていた団体も、結合の目的が犯罪を実行する団体に一変したと認められる場合は、組織的犯罪集団に当たる」(文書回答、2月26日、下線は筆者)。犯罪団体に一変したと認めるのは誰あろう、警察・検察だ。いよいよ、政府は馬脚を現し始めた。同時に、首相の重大な食言でもある。 これより先、金田法相が、予算委員会の野党質問にしばしば立ち往生し、しどろもどろの国会答弁に終始した一因も明らかとなった。金田法相は同法案に関して、法相自身がまともに説明できないのも無理はない。というのも、政府が本音を隠した法案を準備していたからだ。切羽詰まった金田法相が2月7日、記者クラブで、共謀罪について「国会提出後に議論すべきだ」との文書を配布したのも、自らへの野党攻撃を封じ込めたいという願望の表明であったのだ。だが、野党の一斉攻撃を受け、金田法相は文書を撤回し謝罪するという醜態をさらけ出した。 金田法相の立ち往生と文書配布は、彼自身の法相としての無能力を示すと同時に、それ以上に重要なことは、政府が国民に対して、法案の真の目的を隠すために、敢えて紛らわしく、概念の曖昧な、法相自身でさえ理解しがたい法案を準備している、という事実である。 だが、もはや安倍内閣の真の意図はごまかし切れなくなった。 国際法批准や五輪対策という口実は本当か 小泉内閣以来、共謀罪の制定は、「国際組織犯罪防止条約」批准のためには不可欠だと主張されてきた。その上、安倍首相は「テロ準備罪がないと東京オリンピックは開催できない」という。だが、小泉内閣が共謀罪を上程した際には、オリンピック等とは何の関係もなかった。また、国際オリンピック委員会が東京オリンピック開催条件として、共謀罪の制定を必要条件とした訳でもなかった。 当該条約の本来の目的は、国際的な麻薬取引や人身売買等の防止など経済犯罪対策を目的とするものであって、テロとは関係ない。テロ防止国際諸条約それ自体は別途、定められている。この区別は、「国際条約集」(有斐閣)や「ベーシック条約集」(東信堂)でも、同条約が国際テロリズム防止の分類ではなく、国際犯罪防止の分類となっていることからも明白だ。本来の国際テロリズム防止諸条約(ハイジャック防止、外交官保護、人質禁止、核物資防護、海洋航行不法行為防止、爆弾テロ防止、テロ資金供与防止、核テロ防止、プラスチック爆弾探知、等々)については、日本は既にこれらの諸条約を批准しているのだ。だが、これらの条約遂行のために共謀罪の新設が必要だとは、いずれの条約にも定められていないのである。政府は「国際組織犯罪防止条約」とテロ対策を結びつけることについて「宗教的なテロでも利益を全く目的としないケースは考えにくい」と語り、"あらゆるテロは経済目的を含む"と無理矢理こじつけて強行しようとしているのだ。 さらに、当該条約批准のためには、共謀罪の制定が必要条件かと言えばそうではない。同条約は、組織的な犯罪集団への関与・ほう助・教唆・援助・相談を処罰対処としている(第5条)。政府は、この「相談」にひっかけて「共謀罪」の必要性を強調しているのだ。だが、同時に、条約はこの条約を履行するために、「自国の国内法の基本原則に従って、必要な措置(立法上の措置及び行政上の措置を含む)をとる」ことを定めている(第34条1項)。 一方、日本の刑法の原則には共謀罪は存在せず、したがって、共謀罪の制定は、条約批准に際しての必須条件とは言えない。 もとより、同条約の批准に際して、国連が批准条件を審査することもない。また、同条約を既に批准した187ヵ国・地域で、共謀罪を新設したのはノルウエーとブルガリアのみである(外務省の説明)。 共謀罪(米英法)の本来の目的は労働運動弾圧 英米法には既に共謀罪の概念が存在していたが、それは19世紀に激しく台頭してきた労働組合運動をつぶす目的で、参加者を一網打尽に検挙するために創出された概念であった。例えば、ストライキ参加者を一斉に検挙する口実として、ストライキ賛成者に共同謀議があったとしたのである。日本でも労働運動を取り締まるために、例外的に「共謀罪」は生きている。公務員法(第98条(2))は公務員のストライキやその「共謀」を違法とし、違反者は3年以下の懲役または100万円以下の罰金(同110条十七)を科している。もとより、公務員のストライキ禁止そのものが憲法違反であるのだ。 日本の刑法体系の根本原則 日本の刑法体系の根本原則は、犯罪として刑罰を科するのは、実際に犯罪に着手して、既遂もしくは未遂(犯罪に着手したがやり遂げることができなかったか、あるいは途中で中止した=中止未遂)の場合にのみである。現行刑法上の「共謀共同正犯」(数人のものが犯罪を共謀し、その一部のものが犯罪を実行した場合に、実行を分担しない者も正犯として処罰されること)の場合でも、実際に犯罪が実行されなければ、この罪は成立しない。 ただし、例外的には実際に犯罪に着手しなくても、重罪犯(内乱、外患、私戦、建造物放火、通貨偽造、殺人、身代金誘拐、強盗、等)の場合は、「予備罪」(犯罪の意思を持ち、そのための準備行為を罰する)で有罪となる。しかし、犯罪の意思を持っていたか否か、つまり人の内面の意思を証明することは困難である。例えば、ある人が包丁を買ったとすると、それだけでは、その目的が殺人なのか料理なのかについて、証明することは極めて困難である。したがって、これまでは、予備罪適用は極めて少ない。 ところが、今回の共謀罪は、この予備のさらに前段階の共謀=相談の段階を罰しようとするのである。これは、戦前の治安維持法の法理と瓜二つである。 治安維持法の法理 治安維持法(1925年)は、「国体の変革」や「私有財産制の否認」という実際の犯罪に着手しなくても、これらの犯罪を意図した結社を組織した者、これに加入した者は10年の懲役または禁錮、さらに結社を作ろうと相談=共同謀議した者は7年の懲役または禁錮とした。時の司法相の小川平吉は同法の特別の意義を評して次のように述べた。「予備の予備のやうなものまで処罰しろといふ是は非常に特別な立法だ」(「東京新聞」2017.1.19)、と。 治安維持法はその後も、エスカレートし、緊急勅令(国会の議決によるのではなく天皇の命令)によって、国体変革の目的で組織を結成したものは死刑となった(1928年)。さらに、治安維持法違反で執行猶予になった者、不起訴になった者、仮出獄したもの、すべてが保護観察と称して警察の監視下に置かれた(「思想犯保護観察法」、1936年)。 その上、取り締まり対象はさらに拡大し、国体及び私有財産制の転覆を目的とする結社を支援する組織を作った者も最高で死刑とし、同時に神社・皇室の尊厳を冒す目的の団体結成は最高で無期刑となった。それだけではない。刑期を終えて出獄可能になったとしても、同様の治安維持法違反の恐れがあるとみなされる場合、検事は「予防拘禁」として釈放者を拘禁した。だから、治安維持法違反者は一生、刑務所から出られないこととなった(1941年改正)。 おびただしい犠牲者 治安維持法は、1928~29年の2度にわたる共産党の大検挙(幹部・党員・シンパサイザー約2600人)とその後の取り締まりで、1935年には同党をほぼ壊滅状態に追い込み、先ずは当初の目的を果たした。昭和天皇は特高警察に栄典を授け、新聞は「破格、共産党壊滅の功労者に恩賜」と報じた(「東京日日新聞」1936.1.28)。 治安維持府による犠牲者はおびただしい。小林多喜二の拷問死に代表されるような過酷な弾圧が行われた。拷問死並びに特高のリンチよる死亡80名、その他獄死114名、獄中病死1503名が数えられる(荻野富士夫『特高警察』)。日本国内では治安維持法による死刑はなかったが、朝鮮・中国・満州ではおそらく2000名が、一審のみの秘密裁判で死刑となった(同上)。 拷問による獄死・発狂など諸例のうち、次の3件のみを例示する。 <大阪商大事件>事件は、大阪商科大学(現・大阪市立大学)おいて、マルクス経済学を研究する、教員・学生の非公然の「文化研究会」への思想弾圧であった。特高警察は1943年、これを治安維持法違反として学生・教員約100名を検挙し、教員4名、学生33人、その他9名合計46人が起訴された。拷問により獄死3名、発狂3名、釈放後の病死者数名をはじめとして、夥しい犠牲者がでた。 <横浜事件>別々の事件に関係したものを、出版記念会の1枚の集合写真をもとに、次々と芋づる式に関係者を逮捕・起訴し、拷問で「自白」させた事件であった(1944年)。逮捕者約50名、そのうちのひとり、岩波書店の編集者・小林勇の治安維持法違反は次の理由によった。「被疑者は・・・出版物を通じ一般大衆の左翼思想の高揚啓蒙を企図し岩波新書その他の刊行物を通じて共産主義運動を為し」(奥平康弘『治安維持法小史』)。これは、警察がどんな理由でも、こじつけて治安維持法にひっかけることのできた典型例であった。この事件で拷問により4名が獄死、敗戦後の釈放者のうち4名は拷問が原因で病死。 <創価学会事件>牧口常三郎・創価学会初代会長は、伊勢神宮の神札を祭ることを拒否したため、戸田城聖ら幹部21名らとともに治安維持法違反と不敬罪容疑で逮捕された(1943年)。牧口は栄養失調と老衰のため獄死した。現在では、公明党はこの苦い経験をまるで忘れたかのように、自らの受難の歴史に背いて、共謀罪に賛成しているのである。 警察統計だけでも、治安維持法に依る検挙者は約68000名。敗戦後も東久邇内閣は治安維持法の維持を主張し、ようやく10月になって、GHQの命令で治安維持法違反者が釈放された。 戦後も続く治安維持法の伝統 しかし、戦後に治安維持法体制が本当に清算されたわけではなかった。裁判官は誰一人として解任されず、内務省や特高警察は解体され、特高警察官4990名や思想検事25名などは、一応解職されたが、しかし、その多くは経験を買われて再び公安職に復帰している。戦後も都道府県警察には公安課が設置され、治安維持法の再来と称された「破壊活動防止法」が制定され、公安調査庁が発足したのである(1952年)。しかも、思想検事の高官の一部は治安・法律関係の重職についた。たとえば、思想検事の指導者であった池田克は最高裁判事就任、井本大吉は検事総長就任、正木亮(広島・名古屋の控訴院検事)は公安審査会委員長就任・勲一等瑞宝章受章(1965年)、吉岡光貞と清原一郎は、破防法の立案者、となった。 なお、「予防拘禁制度」の理論的な指導者は、戦後の刑法学会の指導者のひとり小野清一郎(東京大学教授、戦後、勲一等瑞宝章・文化勲章受賞)であった。彼は、国家秩序維持を中心とする「日本法理」を唱えた。 結局、日本では、特高・思想検察・裁判官・学者が三位一体ならぬ四位一体として、治安維持法を推進し、かつその体制が、戦後も本質的には解体されなかった、ということである。 共通する政府答弁―治安維持法と共謀罪 安倍首相は上述のように、共謀罪が一般市民を取り締まりの対象としたものではなく、もっぱらテロ犯を対象するものである旨を強調してきた。だが、その口ぶりは治安維持法制定時の政府答弁(1925年2~3月)とそっくりである(「朝日新聞」2017.2.10、参照)。 *若槻内相:「抽象的文字を使わず、具体的文字を使用」「解釈を誤ることはない」(衆院) *安倍首相:「解釈を恣意的にするより、しっかり名文的に法制度を確立する」(参院予算委) *小川法相:「実行に着手するものを罰する。決して思想にまで立ち入って圧迫するとか研究に干渉するつもりはない」(貴族院) *安倍首相:「国民の思想や内心まで取り締まる懸念はまったく根拠がない」「実行の準為があって初めて処罰の対象」(参院本会議) *小川法相:「むこ無辜の民まで及ぼす如きことのないように十分研究考慮をいたしました」(貴族院) *安倍首相:「一般の方々にその対象となり得ないことがより明確になるように検討している」(衆院本会議) 蘇る治安維持法の理念―自民党改憲草案 治安維持法の理念は既に、自民党の「日本国憲法改正草案」(2012年)の基本的人権の制限条項として蘇っている。それによれば、表現の自由を制限する条項として、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社することは認められない」(改正案第21条2項)。つまり、公益及び公の秩序を現実的に害さなくとも、害する目的、換言すれば、「公益・公の秩序」を害する目的にしたと目される活動、例えば「内閣を倒せ」というビラの配布やデモを行っても、それは現行法制度=公の秩序を害する目的を持つものとして違憲となる可能性もある。また、現実に「公益・公の秩序」を害さなくてもそれを目的にした結社の組織も違憲とするものだ。 さらに付言すれば、「公益及び公の秩序を害する」というのは、治安維持法よりさらに範囲が広い。治安維持法は、実際には広範囲の取り締まりを行ったのではあるが、名目上は一応、取り締まり対象を「国体の変革」と「私有財産制度の否認」を柱として「神宮・皇室の冒涜」までとした。だが、「公益・公の秩序」違反の取り締まり対象は、名目上の「限定」さえ存在せず、無限に拡大する可能性が大だということだ。 (つづく) |
Tweet |