[講演録]11月29日リブインピース学習会
「平和的生存権──憲法9条と25条は切り離せない」

 リブ・イン・ピース☆9+25は、11月29日(土)、大阪市浪速区で学習会「平和的生存権−−憲法9条と25条は切り離せない」を行いました。20数名が参加しました。政治学者岩本勲さんの講演では、日本国憲法の中での「平和的生存権」の位置や名古屋高裁判決の意義、9条と25条の不可分の関係、シビリアンコントロールの観点からの田母神問題の批判などが語られました。以下岩本勲さんの講演録を掲載します。

2009年1月15日
リブ・イン・ピース☆9+25


平和的生存権──憲法9条と25条は切り離せない(講演録)

2008.11.29
大阪産業大学教授・岩本 勲

 「リブ・イン・ピース☆9+25」という会の名称を聞いた途端、お世辞抜きになるほど時宜に適したいい名前だな、と感心しました。人間の生存を保障する根本こそ平和だからです。逆に、資本主義の下では、人々の生存が脅かされたとき、一か八かの戦争に訴えよう、という排外主義、侵略主義が強まるのもまた真理だからです。1929年の世界恐慌は日本とドイツでファシズムの流れを一挙に強め、日本を満州・中国侵略に駆り立て、ドイツ・ナチズムのヨーロッパ侵略となりました。
 今日、100年に一度の大世界恐慌の下で、夥しい労働者が街頭に放り出されています。少し前ですが、自らの生活を変えるためには戦争以外に脱出口はないと主張した若者の投稿文が大論争を引き起こしました。「『丸山真男』をひっぱたきたい 31歳、フリーター。希望は戦争」(『論座』2007.1)です。この意味は、東京帝国大学助教授の超エリートの丸山真男が2等兵で入隊し、中学校も出ていないような古参兵にしばしばびんたを食らう話です。当時コンビニのフリーターとして働いていた年収150万円のこの筆者は、社会階層の逆転を軍隊と戦争の中に見いだすことを主張することによって、現在の格差と貧困の矛盾を世に問うたのです。
 事態は当時より一層悪化しています。自衛隊は自衛隊で、今こそチャンスとばかりに失業若者に入隊勧誘の触手を伸ばしています。現実には、戦争が起こって最も先に戦場に追いやられるのは貧しくて職のない若者たちなのです。それはイラク・アフガン戦争を進めるアメリカ社会が、そしてこれまでの歴史が示しています。だから現在ほど、生存を守って平和な社会を築かなければならないし、同時に平和な社会を築いて生存を守らなければならない時はないのです。この二つの闘いは、切っても切り離せない表裏一体の関係であることは、間違いのないことです。

1. 平和的生存権
 名古屋高裁判決(2008年5月2日)は、平和的に生存する権利を法的権利と認めただけではなく、この権利こそが生存権を含めてあらゆる基本的人権の基礎であることを明言した意味で、後に紹介いたします長沼ナイキ事件・札幌地裁判決を数歩進めた画期的な判決でした。これまで、憲法学説的には、憲法の前文で謳われたた「平和のうちに生存する権利」を「平和的生存権」と名づけ(星野安三郎)、裁判における規範性を認めた学説(深瀬忠一、等)も多く存在しましたが、判決において平和的生存権の規範性を認めたばかりではなく基本的人権の全基礎として平和的生存権を位置づけたのが、この判決だったのです。この裁判は、イラク侵略への自衛隊派遣の差止命令を求めるものであり、差止命令は却下されましたが、判決文においては自衛隊のイラク派遣を違憲の活動を含むものとし、同時に平和的生存権の法的性格を認めたものでした。今日の講演の本題に即していえば、この判決の核心的部分は次のとおりです。
 「平和的生存権は現代において憲法の保障する基本的人権が平和の基盤なしには存立しえないことからして、すべての基本的人権の基礎にあってその享有を可能ならしめる基底的権利・・・平和的生存権は、憲法上の法的な権利・・・局面に応じて自由権的、社会権的又は参政権的な態様を持って現れる複合的な権利・・・法的強制措置の発動を請求しうるという意味における具体的権利性が肯定される」(下線は引用者)。 
 この判決の画期的意義は、これまでの判決の流れの中にこれを位置づけてみれば、一目瞭然といえます。
 [1]砂川事件・東京地裁判決(1959.3.30)は、司法の舞台で初めて日米安保に基づく米軍駐留軍を違憲とした、意義深いものでしたが、最高裁判決(1959.12.16)は、日米安保のごとき高度の政治性を有する事件の憲法判断は司法判断の対象外としました。但し、少数意見としては、このような司法判断の回避は、力(権力)を重しとし、法(憲法)を軽しとする思想であると批判しました。
 [2]長沼ナイキ基地違憲訴訟では、札幌地裁判決(1973.9.7)は平和的生存権の権利性を確認し、同時に自衛隊を違憲とするもので、いずれの意味においても画期的であったことは言うまでもありませんでした。しかし、札幌高裁判決(1976.8.5)は、平和的生存権の法的権利性を否定するとともに、自衛隊の違憲・合憲の問題は高度の政治性を持つものとして、「統治行為論」に基づいて違憲・合憲の判断を回避しました。最高裁判決(1982.9.9)は、原告の上告を棄却し、「統治行為論」が判例として確定したのです。

2. 平和的生存権と9条の歴史的意義
 法律や条約によって、戦争を防止しようとする考え方については、17世紀のオランダの法学者・グロチュウスの『戦争と平和の法』以来、多くの主張が見られます。あの有名なルソーの『サン・ピエールの永久平和論』やカントの『永遠平和のために』がよく知られています。
 今世紀に入って、初めて条約によって戦争を防止しようとしたのが、「不戦条約」(1929年)でした。これは、たった3カ条の条約でありましたが、国際紛争解決の手段としての戦争放棄を宣言し、紛争の平和的解決を訴えました。同条約は、戦争放棄を「人民ノ名ニ於テ」宣言したので、天皇制政府は、この部分を保留した上で批准しました。
 第二次世界大戦が終わり、国際連合憲章では、基本原則として、国際関係における武力行使、武力による威嚇の禁止(第2条の4)及び紛争の平和的解決の原則(第30条)を定めました。この例外的措置として、安保理決議に基づく軍事的制裁措置(第42条)と自衛権の行使(第51条)を認めました。  
 日本国憲法における平和的生存権と第9条は、これまでのいかなる条約よりも徹底した戦争の放棄を定めました。第9条は、国際紛争の解決手段としての戦争と武力行使を永久に放棄するとともに(第1項)、戦力の不保持と交戦権の否認を定めたからです(第2項)。
 憲法草案を起草した当時のアメリカ政府の意図は、積年の帝国主義ライヴァルとしての日本帝国主義の徹底的弱体化及びアメリカの占領の基本政策としての天皇制の存置の代償として、第9条を設けるというものでした。代償措置というのは、天皇制を存置した場合、連合国側やアメリカ世論に日本の軍国主義の復活に対する厳しい批判が生ずるので、この批判をかわすために、天皇制存置の交換条件として第9条を設置したという意味です。
 一方、日本国民は、アメリカのこのような帝国主義的意図とは全く別に、第9条を圧倒的に支持しました。全土にわたる空襲の恐怖、凄惨な沖縄地上戦、原爆の悲劇、という体験を通じて、帝国日本の人民ははじめて、戦争の恐ろしさと悲惨さを体験したからです。 

3. 社会的基本権と第25条
 憲法第25条は、社会的基本権といわれる20世紀的基本的人権の一つです。社会的基本権という思想はワイマール憲法に登場するのですが、それは共産主義革命運動とその血なまぐさい弾圧の中から生まれたものです。
 第一次世界大戦に敗北したドイツにおいて、リープクネヒトやローザ・ルクセンブルグを指導者とするスパルタクスス団が1919年、共産主義革命を目指して武装蜂起を行いましたが、社会民主党政府がこれを血なまぐさく弾圧しました。しかし、社会民主党政府は人民の革命的エネルギーを沈静化させるためには、人民の社会的要求をある程度は受容しなければならなかったし、同時にソ連社会主義の影響力を減殺し、これに対抗するためには、私的資本の自由を本質とする自由主義的基本権とならべて、この私的資本の自由の害悪を一定限度緩和させるべく、社会的基本権を創設せざるを得なかったのです。
 日本国憲法もある程度はこの国際的流れに沿わなければならず、労働基本権や教育を受ける権利はマッカーサー草案にも盛り込まれました。しかし、憲法第25条は、マッカーサー草案にはなく、帝国議会における憲法審議の過程において、社会党の主張によって創設されたものです。これは社会党の歴史的功績といわなければなりません。
 しかし、現在、この権利が十全にその役割を果たしているかといえば、残念ながら、否といわなければなりません。生活保護費の控除額をめぐる「 朝日訴訟」に関する東京地裁判決(1960.10.19)は第25条に基づく「保護請求権」を認め、第25条の権利性を認めました。だが、最高裁判決(1967.5.24)は第25条に基づく「保護受給権」を一応認めましたが、第25条は国民に具体的な権利性を認めたものではなく、同条項を「国の債務として宣言したに止まる」といういわゆるプログラム規定として位置づけました。「堀木訴訟」最高裁判決(1984.7.7)においては、「司法審査の対象となるのは憲法25条の規定に基づく立法措置が『著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるを得ないような場合』に限定される」として、司法救済の道を著しく狭いものとしてしまいました。

4. 平和的生存権・第9条と第25条
 平和的生存権・第9条、第25条の内在的、必然的関係は、既に述べましたが、もちろんこれが自動的に達成されるわけではありません。これらを結びつけて、闘うことによって初めて、生存と平和が同時に達成されるのです。
 平和運動と生存権闘争を直接結びつける典型的な闘争の一つは、予算闘争です。バターと大砲、つまり社会保障費と軍事費とは基本的な対抗関係にあるからです。軍事費を削減して社会保障費の増額を求める闘いは、表裏一体のものといえます。例えば、軍事費と社会保障費を対比させれば、次のようになります。
 <軍事費比較>(2007年度、単位は億ドル)
   米国5470、英国597、中国683、仏国536、日本436、独国369、露国354
 <社会保障費>(対GDP比%)
   スウエーデン38.5、ドイツ25.3、イギリス21.1、アメリカ15.1、日本11.9 
 非核兵器国では日本が軍事費第1位で社会保障費の対GDP比は第5番目です。

5. 当面の問題としての田母神論文批判の基本的視点
 田母神論文の日本の侵略否定説は、「論文」などとは到底いえない、デマと偏見に満ちた、単純な漫画的ストーリーに基づく「戯れ文」にしか過ぎませんが、ファシストの扇動という意味では危険で油断ならないものです。現在、田母神論文は一部の右翼論壇でもてはやされているだけではなく、いわゆる「ネット右翼」と称される若者たちの喝采を浴びています。鬱屈した彼らの気晴らしにもってこいなのでしょう。歴史的に見れば、ドイツ・ナチズムこそが、1929年恐慌とヴェルサイユ体制に喘ぐドイツの民衆にたいして、デマと偏見を武器に、ユダヤ人排斥など単純な論理で人種主義と排外主義とを煽り、失業者、没落中小資本、農民などの大衆を獲得したからです。
 さらに、田母神論文は、実は歴代自民党政府の本音を表明したことが重要なのです。近年では、小泉内閣の靖国神社公式参拝=露骨な「大東亜戦争」礼賛やイラク派兵=本格的海外派兵の第一歩、安倍内閣の憲法改正路線、等々の事実にその本音が示されています。たとえ福田内閣や麻生内閣が、村山談話を踏襲したとしても、それは口先だけのことにしか過ぎません。これらの内閣に限らず、歴代内閣は自分の言葉で、アジア・太平洋戦争の戦争責任を認め、謝罪したことは一度もないのですから。
 もともと、村山談話にしても具体的に日本帝国主主義の侵略を認めて謝罪したわけではないのです。例えば、日本政府一貫して、1910年の日韓併合を合法とみなしており、「日本軍慰安婦」、朝鮮・台湾に対する植民地支配、中国をはじめ東南アジア諸国民に対する日本軍の残虐行為、中国人・朝鮮人に対する強制連行、重慶爆撃、これらすべてに対する日本政府の責任と国家補償を認めてはいません。
 麻生内閣は、田母神論文が政府の公式見解と異なる点のみを指摘し、懲戒を行なわず定年退職をすんなりと認めました。麻生政府が本気で田母神・空自幕幕僚長を処分しなかったのは、今、述べましたように、麻生内閣と田母神・空自幕僚長の見解が基本的に同じだからに他なりません。だが、田母神・空自幕僚長は憲法違反として処罰されなければなりません。彼の「論文」は極東国際軍事裁判否定の見解をその主張の柱の一つとしているからです。彼はそれを幕僚長として自らの見解を公表したばかりではなく、航空自衛隊員に対して、この憲法違反の見解を教育した、という二重の憲法違反をしています。日本政府は、極東国際軍事裁判の判決を受諾する旨を定めたサンフランシスコ講和条約(第11条)を批准し、日本国憲法は、その最高法規において、国際法規遵守の義務(第98条2項)及び公務員の憲法遵守義務(第99条)を定めています。したがって、空自のトップ=政府高官がその地位において、締結された条約を批判すること、これを自衛隊員=公務員に教育することは、憲法違法なのです。政府高官は、いかなることを述べてもよい、部下の公務員に対していかなる内容の教育を行なってもよい、という言論の自由は有しません。例えば、すべての人々は信教の自由(第20条1項)を有しますが、公務員がその地位において宗教教育その他いかなる宗教活動もこれを行うことは禁じられており(第20条3項)、公の財産を宗教活動のために供してはならない(第98条)ということ、と同じ法理といえます。もちろん田母神氏が退役後、個人の資格において何を言おうと、私塾や私的講演会において何を教育しようとも、それは言論の私人の自由に属する事柄です。

6. シビリアン・コントロールの意味
 田母神論文批判として、シビリアン・コントロール違反が指摘されています。多くのマスコミの論調はここにしか焦点を当てていない、という不十分さはありますが、この指摘自体は、戦前の日本帝国主義の軍隊の実態を見たとき、正当な指摘の一つです。
 現行憲法は、総理大臣他、国務大臣は文民でなければならないと定めています(第66条2項)。この条項は最初、マッカーサー草案にはなかったものですが、憲法の審議過程で、極東委員会のイニシャティヴによって新たに挿入されたものです。戦前、陸海大臣が現役(一時期は退役でも可)の中将・大将でなければならない、という規定を建前にして軍部が内閣の生殺与奪権を握っていた歴史的事実を考慮した、極東委員会の判断であったことは間違いありません。
 さらに、日本の場合、特にシビリアン・コントロールが重要視されるのは、戦前、「統帥権の独立」という、天皇制国家独特のシステムが、軍部独走を許す一因となったからです。戦前は、軍令と軍政とが区別され、軍隊を直接動員・指揮する軍令は、大元帥である天皇の直接の統帥権として定められ、政府・議会はこれに関与できませんでした。軍部独走の典型は満州事変ですが、これは、軍部が政府に無断で引き起こし、天皇と政府がこれを追認する、という形になりました。
 現在の自衛隊の指揮系統は、総理大臣→防衛大臣→統合幕僚長→陸・海・空幕僚長というもので、シビリアン・コントロールの形式をとっています。もちろん、シビリアン・コントロールがあるからといって、自衛隊が侵略戦争を起こさないという保障は何もありません。しかし、制服組が防衛省の主導権をとってしまうと、侵略主義への傾斜が急速に容易に強まるという危険性があります。制服組は、ちょっと目を離すと好き勝手なことを行なうものです。記憶に新しい例では、アフガン作戦への給油のはずが、内閣も知らないうちにイラク作戦への給油も行なっていた、ということがあります。イラク派遣航空自衛隊は、武器弾薬の輸送は行なわない建前でした、完全武装の米兵を繰り返し輸送していたことは公然の秘密です。そのほか、自衛隊がイラクで何をしていたのか、本当のところは我々には何も知らされていません。自衛隊の独走を抑えるために、やはりシビリアン・コントロールを武器にして少しでも自衛隊の行動を抑制する必要があるのです。
 自衛隊違憲論に立脚する限り、自衛隊そのものの存在を認めることは出来ないのですが、自衛隊を廃止することが出来るまでは、自衛隊の活動に警戒心を強め、それをたとえ僅かであるにしろ抑止しなければならないのです。特に現在のような未曾有の危機の時代には、自衛隊が情勢のドサクサにまぎれて勝手な行動をする危険性が高まりますので、このことが重要です。当面、次のような活動が必要だと考えられます。
*国民世論と国会調査権による絶えざる自衛隊の行動監視。
*自衛隊の教育内容の総点検。
*制服組を内局に入れて、制服組の発言権を拡大しようとする方針など、制服組の進出の阻止。
*政府自身による海外派兵、集団自衛権論肯定への傾斜など、あらゆる戦争行動とその準備の抑止と日本国家の戦争責任否定論の糾弾。
 ご清聴ありがとうございました。

以上

[岩本勲さんの講演録](署名事務局)
近代憲法の意味と日本国憲法の意義(上)
近代憲法の意味と日本国憲法の意義(下)