日米間の密約について
2010年6月27日 リブ・イン・ピース@カフェ

 鳩山政権は、自民党政権時代の日米密約について、調査と公表を華々しくぶち挙げたが、対象となったのは4件だけ。存在が知られているものだけでも、この他に多数の密約がある。有名なものについて、下記に述べる。
 しかし、これでも氷山の一角にすぎない。日米間には、公表されていない膨大な取り決めがあるものと推定され、現在も「日米合同委員会」(※)などを通じて、日々積み上げられている。「対等な日米関係」のためには、これらを公表させ、破棄させることが必要である。

(1)外務省の有識者委員会が調査した4つの密約

[1]核兵器搭載艦船の寄港・通過を事前協議の対象外とする

 明文化された日米密約文書はないとされるが、佐藤内閣から海部内閣までの10内閣で引き継がれていた。
 米の核搭載可能艦の日本への寄港について、日本側は「事前協議がないのだから核もないはず」との論理で核持ち込みを否定していたが、実際はこの密約により、事前協議なしに核が持ち込まれていた。非核三原則の「持ち込ませず」は空文化していた。
 有識者委員会は、「暗黙の合意」による「広義の密約」とした。

[2]朝鮮半島有事での在日米軍の自由出撃容認
 1960年6月23日の安保条約改定時、日米安保協議委員会(SSC)準備会合での、藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日米大使による覚書。
 改定された安保条約では、「極東における国際の平和及び安全の維持に寄与」するために在日米軍が出撃する際には、日米両政府の事前協議が義務づけられた。しかし、「国連の極東におけるいかなる行動に従事した」国連加盟国の軍隊に対しても、日本が「日本国内とその付近において支持することを許しかつ容易にする」とするアチソン・吉田合意(51年)が、国連軍の朝鮮駐留期間中延長されるよう、密約が交わされた。
 有識者委員会は、合意文書に基づく「狭義の密約」と認定。

[3]有事の際の沖縄への核再配備
 1969年沖縄返還決定時、佐藤栄作首相とニクソン大統領が、「合意議事録」にイニシャルで署名。
 佐藤首相の密使を務めた若泉敬が、94年に証言し明らかにした。2009年12月、佐藤栄作の遺品の中から「合意議事録」が見つかった。
 [8]参照。
 有識者委員会は、政府内で引き継がれていないことなどを理由に、密約と認定せず。

[4]沖縄返還の原状回復費肩代わり
 1971年、沖縄返還時、福田赳夫蔵相とケネディ財務長官との会談に基づき、吉野文六外務省アメリカ局長とスナイダー米公使が交わした。
 地権者に対する土地原状回復費400万ドルを、公式発表では米が支払うことになっていたが、実際には日本政府が肩代わりして米国に支払う。
 いわゆる「西山事件」の対象。
 有識者委員会は、は「広義の密約」とした。

(2)その他の密約

[5]在日米軍裁判権の放棄
 1953年10月28日、日米合同委員会裁判権分科委員会刑事部会日本側部会長の声明。米側代表は軍法務官事務所のアラン・トッド中佐、日本の部会長は津田實法務省総務課長。
 10月29日、日米地位協定が改定され、それまで公務であろうと公務外であろうと米兵・軍属・家族の犯した犯罪の裁判権はアメリカにあるとされていた規定が、公務外の事件の第一次裁判権は日本にあるとされた。しかしその裏で、前日の28日、「重要な案件以外、また日本有事に際しては全面的に、日本側は裁判権を放棄する」とする密約が交わされていた。
 その後5年間で、約13000件の在日米軍関連事件の97%について、日本は裁判権を放棄した。法務省は全国の地方検察庁に「実質的に重要と認められる事件のみ裁判権を行使する」よう通達を出した。

[6]日米地位協定3条における米軍基地の管理権の密約
 1960年1月6日、日米地位協定移行時、藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日米大使が秘密了解文書に署名。
 基地運用のあり方について「(米側が)権利、権力、権能を有する」とした文言を「すべての措置を執ることができる」にあらため、米側の権限を弱めるように表現を緩和したが、実際は旧協定で定めた権限を変えずに引き継ぐことで秘密裏に合意していた。60年6月、米国務省が米議会に説明した資料には「米国の権利は、現協定の文言のもとで旧協定と変わることなく続く」と明記されていた。
 米軍特権が継承され、基地運用に日本の権限が及ばない。深夜・早朝の米軍機飛行など米側が思い通りに使える背景にある。

[7]沖縄返還に際しての財務上の密約
 1969年12月、柏木雄介大蔵省財務官とジューリック米財務長官特別補佐官が署名。
 沖縄返還に伴う日本側の財政・経済負担について、沖縄での通貨交換により日本政府が取得したドル(6000万ドルまたは実際に通貨交換した額のいずれか大きい方)を少なくとも25年間、米ニューヨーク連銀へ無利子預金することのほか、「双方が理解に達した」点として、(1)米側資産の買い取り費用(1億7500万ドル)(2)基地の移転費用等(2億ドルを物品、サービスで提供)(3)社会保障費用(3000万ドル)、を列挙。
 日米政府が公式発表している「沖縄返還協定」(71年6月締結)記載の対米支払額(3億2000万ドル)とは別枠の負担。

[8]米軍の無期限自由使用を認めた沖縄返還協定の密約
 1972年5月15日、沖縄返還当日の日米合同委員会の合意議事録。
 [3]で沖縄への核再持ち込みの密約が交わされたが、米は核の再持ち込みを最重要視していた訳ではなかった。潜水艦発射の核兵器が配備されていたため。米にとって最も重要であったのは、基地の無期限の使用であった。
 返還当日の日米合同委員会で、嘉手納、普天間など沖縄における米軍基地を期限を定めず使えるという取り決めがなされた。
 日本側が、表向き核の再持ち込みを否定することを重視していたことを利用して、基地の無期限使用を、交渉の中心課題にすることもなく日本に認めさせた。すべての米軍基地問題の根底には、この密約があると位置づけることができる。

※日米合同委員会とは
 日米安保条約における日米地位協定に関する問題を協議する常設機関。日米地位協定で設置が定められている。原則、2週間に一度、開かれており、日本側は外務省北米局長や防衛省地方協力局長ら、米国側は在日米軍副司令官、駐日公使らがメンバー。国内の米軍基地、施設の運用や事件、事故の取り扱いなどを協議する。