名護市長選の前日(1月23日)に「沖縄にも、大阪にも、どこにも米軍基地はいらない」をテーマに「@カフェ」をおこないました。急な呼びかけでしたが14名が参加しました。 日米軍事同盟に関する様々な合意文書や、伊波宜野湾市長が明らかにした「グアム移転計画」などの文書を参照しながら、普天間飛行場の撤去や、普天間代替措置としての辺野古新基地が不要なだけでなく軍事的脅威をあおる安保条約そのものを見直す時期に来ていること、それを鳩山政権に要求していかなければならないということなどを議論しました。 議論の前提として、沖縄の米軍基地が銃剣とブルドーザーによって強制的に住民を排除して作られてきた歴史を知らなければならないという指摘があり、その上で、日米安保の変遷について、特にここ15年ほどの経緯について詳しい説明がありました。 1960年に締結された日米安保条約では、第6条のいわゆる「極東条項」によって、在日米軍の行動範囲は「極東」だけに限定されていました。(1965年に米軍は沖縄の基地をベトナム戦争のために使用しました。「極東」の範疇に入らないベトナムへの攻撃が可能だったのは、この当時沖縄は日本の領土ではなかったからでした。) 1994年のいわゆる「朝鮮半島危機」(米国があやうく北朝鮮への攻撃をしかける寸前にまで至った)を契機に、日米安保の「再定義」(拡大解釈)が開始されました。1996年の「日米安全保障共同宣言」で、在日米軍の活動地域を「極東」だけではなく、北朝鮮までを範囲に含む「周辺」に拡大することが定められたのです。 さらに2001年にアフガニスタンに戦争を開始した米国は、日本に安保の「再々定義」を迫りました。これは朝鮮半島に限らず世界のどこへでも在日米軍を展開できるようにするためのもので、2005年から06年にかけて「極東」や「周辺」を超えて「地域及び世界における」共通戦略目標を達成することを日米同盟の重要な要素とすることが日米間で合意されていきました。憲法の平和主義の根幹に関わる事柄が、国会で論議もされず、国民に十分に知らされもせずに決められていっているのです。 さらに、2005年に米本土にあった米陸軍の第一軍団司令部を神奈川県座間(ざま)基地に受け入れた(当時の小泉首相と「防衛省の天皇」の異名を持つ守屋事務次官が決定)ことは非常に危険な動きであるという指摘がありました。この司令部は海外出動を専門としており、この司令部の指揮下に陸上自衛隊中央即応司令部を従わせようというものなのです。 議論の中では、現在の日本政府の時代認識がどのようなものなのか、戦争を煽るのはすでに時代遅れではないのか、メディアがいつまでも軍事対決を前に出し、米軍の駐留を望み、鳩山首相の「動揺」をバッシングしているのは、どんな利害・理由に基づくものなのかという意見や質問が多数出ました。 橋下大阪府知事が関空を普天間の代替にという発言をしたことに対して、日米安保そのものと対決せずに単に「大阪に持ってくるな」と言うだけでは、沖縄に基地を押しつけ続けることにならないかという問題提起もありました。 提示された資料が多すぎて未消化のまま残されてしまった点や、参加者からの問題提起のひとつひとつについて必ずしも十分に議論を尽くせなかった点などをふまえ、今後も米軍基地問題の論議を継続していこうということになりました。 2010年2月28日 |